🪶はじめに:言葉が消える世界で何が起きるのか
言葉が一つずつこの世界から消えていく。そんな奇妙な現象を描いた筒井康隆の小説『残像に口紅を』は、読めば読むほど「言葉とは何か」「言葉がなくなったら世界はどうなるのか」という根源的な問いに引きずり込まれていく。
最初はアイデア小説のように思えたが、ページをめくるごとに、使える言葉が減り、文章の形そのものが崩れていく。ある言葉が消えると、その言葉に関係する物も出来事も、人の記憶さえも曖昧になっていく――そんな不安と驚きの中でも、物語は止まらず進んでいく。その構成力と文章力にただ驚くばかりだった。
💬言葉を失っても物語は進む──表現力の極限
この作品のすごさは、言葉を失ってもなお「語る」ことをやめない点にある。
使えない言葉を避け、別の言い回しや比喩を使って物語をつなぐ。そのたびに、言葉の重みや選択の意味が浮かび上がる。
読む側としては確かに読みづらさを感じる部分もある。けれど、その不自由さこそが、この小説の“体験”なのだ。
読者は、言葉が失われる世界を追体験するように、ページを読み進めていく。
🪞「言えないもの」は「存在しない」──言葉と世界の関係
特に印象的なのは、言葉が消えるたびに登場人物たちの世界が小さくなっていくことだ。
「言えないもの」は「存在しないもの」として扱われる。
私たちは言葉で考え、言葉で世界を認識している。
だから、言葉を失うということは、世界そのものを失うことに他ならない。
日常で何気なく使っている言葉が、実は私たちの世界を形づくる基盤だったのだと気づかされる瞬間だった。
✍️作者の執念──言葉の限界に挑む筆致
それでも物語は止まらない。
筒井康隆は、失われた言葉の代わりに、まだ残っている言葉を巧みに操りながら、物語を最後まで紡ぎ切る。
その執念ともいえる筆致には、作家としての覚悟すら感じる。
単なる“奇抜な設定”ではなく、言葉を使う行為そのものの限界と可能性を作品の中で実験しているのだ。
🧠読み終えて残るのは、言葉の残像
読み終えたあと、私はしばらく言葉を失った。
どうしたら、こんな小説が書けるのか。
文章力という次元を超えて、言葉の構造や意味、そして読者の理解までも計算し尽くした作者の知性に圧倒された。
まるで文学そのものが、自分の存在をかけて試されているように思えた。
『残像に口紅を』は、単なる実験的な小説ではない。
言葉の消滅を通して、人間の認識や記憶、存在のあり方を問いかける哲学的な物語だ。
言葉が消えるたびに世界が遠のいていく。しかしその過程で、私たちは逆に「言葉の力」を痛感する。
言葉があるからこそ、人と通じ合い、世界を共有できる。
その奇跡を、筒井康隆は静かに、しかし確かに描いている。
🌹おわりに:残ったのは“言葉のない余韻”
本を閉じたあとも、頭の中には“消えていった言葉たち”の残像が浮かんでいた。
言葉がなければ思い出すこともできない。
それでも、そこに確かにあったものを感じ取ろうとする――
そんな読後感が、いつまでも心に残り続けている。


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